第123回定例会
第123回
安部隆孝氏・佐井郁文氏・楊井元伸氏
開催日
11月17日(火) 19:00 ~ 21:30
開催場所
香港和僑会オフィス http://www.wa-kyo.org/contact
参加者数
47名
「みなさんに伝えたいこと」
<堀さんから本日の講師とファシリテーターの紹介>
講師:佐井さん、安部さん、楊井さん
ファシリテーター:吉田さん
<ファシリテーターの吉田さんから講師の紹介と今回の企画・経緯について>
安部さんはコーズウェイベイで昨年まで6年間、割烹のお店「安半」をやっていました。コーズウェイベイ地区ではお昼が商売になるので普通はランチ営業をしますが、夜だけの営業。儲けを度外視しているわけでなく、1人単価が高いお店でメニューはなく、常連をメインにして成功しました。その辺の成功した秘訣についてもお話してもらいます。佐井さんは今日で、NNA香港 創刊5,000号達成、20年目になります。楊井さんはパン屋、レストランを経営しています。以前、この三人が安部さんのお店にいつも集まって、話をしてるのが面白いということで、今日は3人の経験談が和僑会の皆さんのこれからに役立てればということで、この定例会を開催しました。
<起業したいきさつ>
佐井さん
僕、荻野会長、安部さん、元はサラリーマン。僕は30年前台湾へ、5年後へ香港、香港へ来てからはいつか絶対起業したいと思ってやってきました。そういう思いで、駐在員時第は2年ごとに新しいプロジェクト自分でを立ち上げ、1999年にプロジェクトが終わったと同時に帰国命令。その時起業しようと決めました。
楊井さん
僕は父親がパン屋さんで1948年に18歳で父が始めた会社を継ぎました。1982か1983年にそれまで将来海外に行きたいという思いがあったのもあり、父親から海外へ行けと言われ海外へ出たのがきっかけです。自分の意思というよりも父親の命令でした。家業の為に1年くらいというつもりが今に至ります。1985-1988年まで香港、その後台北を立ち上げるため台湾へ。その頃、佐井さんと出会います。
父親は台湾出身だが、僕は全く中国語はできませんでした。ところが台湾へ行ったのをっかけに、全然できなかった北京語も毎朝2時間勉強し、言葉が話せるようになったのもありアジアに住むようになりました。
安部さん
皆さんに言いたいことは、商売するに関して、起業することに対して恐れていてはだめ。特に日本人の心の中ある欲、希望、上に行きたい願望をを掴んでいけば絶対起業家になれます。自分の知らない分野は絶対しない方がよい。私は料理が好きだから調理師を選びました。皆、就職したときは自分が何が好きか分からない。でも10年、20年経つと、自分が好きなものが見つかるので、それをやってみることが大切。これが儲かるからやろうという考えはダメ。
<起業するにあたって大切なこと>
佐井さん:
安部さんは自分の得意分野以外はやらない方が良いといっていたが、私の考えは少し違う。私の場合は会社に入って駐在員でも起業の精神を持ってやってきた。サラリーマンでも独立精神を持ってやっていないと起業はできない。いつかチャンスが回くるというような待っているような人では無理。私は台湾の華僑、日本生れの台湾の2世。父母が台湾人。最近知った話だが、父は実は中国大使館の中で産業スパイをやっていた。その後、映画の貿易を始めた。また、華僑の学校で育ったため周りにサラリーマンがいない。そんな環境の中で育ったので起業に興味があった。
楊井さん
佐井さんとは激動の時代を一緒にすごしてきたのでとても縁を感じます。佐井さんは中国の中でやってきた。それは並大抵のことではないと思う。僕の場合は最初はパン屋さんを継ぎたくなかった。とりあえずということで始め、現場に入り職人さんの考え方を経験していくうちに好きになった。タイミング、社会情勢、決断力、お金の問題、それらを自分でいかに理解してやるかが大切。私はスタートはいい加減な形できたけれど、やらなければいけないようになって、23年間香港の厳しさにもまれ、高度成長もかみ合って育てられた。
質問:楊井さんは、パン屋さんに興味がなく、嫌いで違う仕事をしたかったのになぜ続けているのか。
嫌々始めたが、やって行くうちにモノを作る面白みが分かってきた。海外のパン屋さんに負けないお店を作ろういう思いが出てきた。父にはきっかけを感謝している。そして今後もっと伸ばして生きたい。
質問:決断が大事というが、決断は難しいと思う。佐井さんが決断したときに後押ししたものはなんですか?
1番に家族の後押し。家族の賛成。
2番は事業のマーケティング。これは行けそうというイメージ。
質問:先立つもの(お金)が必要だと思うがどうやって??
安部さん
いい人と出会えた。(お金がないときに、お客さんが8000万円、金利なしで貸してくれた。)
自分で決断できるのは社長だけ。(100%自分でやっていれば決断ができる。)
楊井さん
決断は厳しいと思う。自身がなかったらできない。安部さんは尊敬する。
家族を巻き込む可能性もあるので、責任。あとは耐えれるだけの精神力。
質問:独立をして一番つらかったこと、苦しかったこと。一番嬉しかったことは?
佐井さん
辛かったのはシモンズベッドの撤退。アメリカのシモンズベッドのアジアを任されたが数年で撤退が決まった。当時、本社は上海ではそんな高いベッドは売れないという考えで現場の意見を全く聞き入れてくれず、借り入れしなくてもいける自信があったが撤退に至った。とても悔しかった。嬉しかったことは覚えてないです。ピンと来ないですね。辛かったことは覚えているものですが。
楊井さん
苦しかったことは、台湾にいるときに、父親が全部責任を持つからということで、ローカルな場所でのお店のオープンを任され、私はそんな場所では日本のパンは売れないと思ったがスタート。その時に事件があり、警察沙汰になったりしてとても悔しい思いをした。嬉しかったのは、ショッピングモール(香港でいうとコーズウェイベイのような場所)で大成功したことです。
<質疑応答>
質問:A1ベーカリー以外のパン屋さんはどこがいいと思いますか?
楊井さん
僕はエリックカイザー好き。香港は家賃が高すぎるので、どこまで我慢できるか。空港は家賃が非常に高く、空港には出展できない。商売をやるにはエアポートはやめた方がいい。
質問:思うように行かなかったことが、急に流れが変わった時のことを教えていただきたい。どうして流れが変わったか。
安部さん:気分。ぱっと変わることってあります。
楊井さん:決断のタイミング。自分ではどうにも出来ない社会現象がある。
佐井さん:今までの経験から、これから行けるぞという感覚をつかめた。
質問:あと20年、お金も心配なく過ごせるとしたら何をしたいか?
安部さん:働きます。僕の場合は日本の年金ないので、金銭的なことを考えていかないとダメだと思う。
(文責:香港和僑会、執筆:香港和僑会事務局 岡田 ゆう)