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第47回香港和僑会

第47回

スリーボンド香港有限公司 董事長 清水円輝氏

第47回香港和僑会

開催日

3月20日(金) 19:00 ~ 21:30

開催場所

日本人倶楽部

参加者数

30名

第47回香港和僑会

◇不可能を可能にする秘訣  

「自分は起業しているわけでもない。いわばサラリーマンの成れの果てのようなもの」 スリーボンド香港有限公司の清水董事長は、自分のことをそんな風に謙遜する。

しかし、アメリカ企業をはじめ外国企業を相手に大暴れ、今までアジアで立ち上げた拠点は実に50箇所を数えるという。桁外れの市場規模のアメリカの自動車産業に何とか自分たちの製品を採用してもらおうとアメリカ人の代理を立てずに単身に売り込みに奔走するなど、日本のサラリーマンとは全く考え方、そしてやることも違う。

「アメリカの自動車産業への最初の売込みは制限時間わずか15分のミーティングから。10年通ってようやくものにした。もし、これを自分で会社を興すところからやっていたらきっと途中でヘタっていただろう」とも。起業ならでの醍醐味もあるように、それとは全く違ったサラリーマンならでの醍醐味もある。清水社長は、まさにアメリカン・ビジネスならではのスケールをエンジョイしながら仕事人生を目いっぱい満喫しているように感じた。

ともすれば清水社長の場合は、やることなすことちょっと(かなり?)日本離れ。持ち前の豪快さと明るさが話の節々に感じられた。

この清水スタイルは一体どこで培われたのだろうか?

清水社長は学生時代、バイト料の高さに魅せられて地元九州で名所を案内する英語の観光ガイドをやった。

「そんな無茶な…」

この話を聞いて正直驚いた。

なにしろ、史跡の通訳はとびきり難しい。ずいぶん以前だが、商談のあと外国人を平泉の史跡に連れていってひどい目にあった。係りの人が親切に日本語で説明してくれるのだが「矢踏み」「鎧・兜」から始まって日常、英会話ではまず使わない単語のオンパレード。「ぜんぜん訳せない…」キョトンとする外人。以来、観光通訳ガイドはすっかり私のトラウマとなった。

まして、お金をいただくガイドなら話さないわけには行かないし、好き嫌いも言っていられない。友達ではないので下手なら文句も言われる。これを、いとも簡単に「出来る」と思い込むのは相当の心臓…、セルフイメージの高さのなせる業。

ふと最近、見たアカデミー賞受賞の映画『スラムドッグ$ミリオネアー』のワンシーンを思い出した。

『悪い奴らのもとから命からがら逃げ出してきた孤児の主人公。何のあてもなくインドのとある大都市の史跡の片隅にぼんやり突っ立っていると初老の外人観光客夫妻が声をかけてきた。「急いでいる。名所をだけパッと案内してくれないか」

(え、何でボクに?)

ふと振り返ると『観光ガイドやります』という立て札があった。どうやら知らずに観光ガイドの客待ちスポットに立っていたらしい。(この史跡について何も知らない)と思うより先に(チャンスだ。お金が稼げる♪)夢中で口からでまかせで観光地をまわった。ガイドブックとあまりにかけ離れた内容の説明に目を丸くして顔を見合わせる老夫婦。

これに味を占め観光ガイドで小金をためる主人公。この映画で主人公を突き動かしたのはハングリーさ。はたして清水社長の場合は…。

ひとついえることがある。「英語のガイドが出来るか?」「外国企業相手に自分の英語は通用するか?」というような(少なくても私だったら)答えをためらうような自問に対して清水社長は常に『出来る!』と自信を持って即答していたことではなかろうか。

『自分には出来るはずだ』というセルフイメージの高さがなければ何も始まらなかっただろう。そして、おそらく『アメリカの自動車会社は必ず製品を買ってくれる』という自信・想いがあったからこそ10年かけて市場を切り開けたのではなかろうか?

清水社長の持ち前の明るさや人なつっこさ、それに”泣きたくなるような経験”をしながらも「努力する者にはチャンスをくれるのがアメリカ社会」というようなポシティブなアメリカに対する見方、そんな清水社長の口から出てくる言葉は

「桁はずれの注文量」「価格破壊はアメリカから」「過剰品質を嫌う合理主義」

「経済危機、GMはじめ救済などの問題あるが、まだまだアメリカはすごい」など桁外れのアメリカの話。

「老後は毎日ステーキはきつい」といいながらアメリカへの強い愛着を感じるお話だった。

アジアで商売をしていると、とかくアジアや日本企業にばかりに目が行きがち。

正直、私自身も「アメリカは自分には無理、関係ない」と決めてかかっていた節がある。

自称アメリカ通は多いいが実際には商売をアメリカ人や代理店にまかせっきりの人が少なくない。本当のアメリカを肌で感じての奮戦気は海外ビジネスを営む我々に勇気を与えてくれる。同時に主に非常に勉強になった。

清水社長、ありがとうございました!

(ここまでの文責上野)  

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『今こそビジネスパラダイム転換を!』-自動車産業を通じて見たアメリカの事例から

1980-98年アメリカ カリフォルニア州、オハイオ州に通算17年居た。アメリカ人相手のビジネスのやり方をお伝えしたい。香港で活躍されている方は日本相手の仕事が多いが「矛先を変えてアメリカに目を向けてはどうか?」といいたい。アメリカのマーケットはすごい。日本は品質神話があるが、そうでないマーケットがあることを知ってほしい。しかも、オーダーの桁がひとつ違う。本日は、私の経験を踏まえ米国エンジニアの考え方などもお伝えできればと思う。

◇アメリカとの出会い

私がどのようにしてアメリカと付き合うようになったかを最初に説明したい。

学生時代1日肉体労働をしても800-1,000円の時代、これが通訳だと1時間で1,000円もらえることを知った。「これはイイ」割の良さに引かれて別に英語が得意と言うわけでもなかったが観光ガイドのアルバイトをはじめた。恥を掻きながら続けたがそこで分かったことは「質問は誰も大体も同じである」と言うこと。1日に使うフレーズを200-300。必死になって覚えた。大学でもこのぐらい必死に勉強したらいい成績が残せたと思う。大学を出て三井系企業にプラントエンジニアとして入社した。月給が3万円の時代である。アメリカからバイヤーが某三井系総合商社のアテンドでやってきた。80億円のビジネスだったが、その商社マンは英語が苦手だったのか私が英語でバイヤーと直接話をしているのを横で苦々しそうな顔で見ていた。商社マンでもこの程度ならば英語は大丈夫と高をくくり、アメリカで活躍の出来る会社へと転職した。

学生時代の観光ガイド、社会人になってからのアメリカ人との商談で自信を持っていたのだが、実際に現地に行き、ネイティブのしゃべる英語の早さに鼻っ柱をくじかれた。

自動車の市場はでかい。たとえば、エンジンの生産規模は世界で4,500万~5,000万台ある。ヨーロッパ、アメリカ、アジアでそれぞれ1,500万台ずつあるスケールの大きいマーケットだ。

◇系列化が進んだ自動車業界

アメリカの自動車産業の発展を少しだけ紐解くと1900年代には104社あった自動車会社は1929年にはローリングトゥエンティズと呼ばれる淘汰を経て44社になり、1950年には8社に集約され、1980年には現在のBIG3+アメリカズモーターズの4社が生き残っていた。そして現在アメリカはビッグ3。ちなみにアメリカズモーターズは太平洋戦争後の進駐軍が乗り回していたジープを生産していた会社である。

車は軍需産業とともに発展した歴史がある。1980年代にアメリカズモーターズは中国にチェロキーと言うジープを輸出した。民間用だが、なぜか屋根にはすべて機関銃の銃座が据え付けられていた。

現在中国はまだ自動車メーカーが120社オートバイ会社も400社ある。将来合従連衡を繰り返しながら淘汰されていくと思われる。日本もかつては10大自動車企業があったが、次第に系列化が進んでいった。当然の流れだと思う。

◇アメリカ的考え方:サプライヤーはパートナー

米国は日本と考え方が大きく違っていてサプライヤーとバイヤーはの立場はイコール(対等)と言う考え方で、やり易い面がある。アメリカでは自分の位置を探りマーケティングしながらエンジンを開発することになる。私の場合は情報ソースと期待されていたようである。「○○の問題は日産や豊田はどうやって解決しているのか?」などと質問されたことがあった。まさかそのまま答えるわけには行かない。「他社からGMがどうしているか聞かれて答えられないのと同じように、その質問には答えられない。ただし一般論であればお話できる。」といった情報交換をしながら関係を深めていった。

◇厳しいが努力をすればチャンスをくれるアメリカ社会:ただしプレゼンは15分勝負

サタンやネオンは70%は日本の部品を使用している。だが、アメリカ企業はOver Qualityには決して対価を払おうとしない。その一方で通い詰めるとチャンスをくれるようなところがある。あるとき、15分だけ時間をくれるというので朝ロサンゼルスを出発しデトロイトには6時ごろ到着。翌朝、客先に営業に行く。5分間を自己紹介、5分間を会社説明、残りの5分でビジネスの話をした。時間をかけて飛んでいっても興味を引けなければ15分で終わり、後に行くアポもなし、冬の屋外はめっぽう寒い。泣きそうになったことも何度もある。だが、通っているうちにだんだんとヒントをくれるようになった。努力すればチャンスをくれるのがアメリカビジネスのいいところだと思う。

◇アメリカ人はなぜ会社を大きくしたがるのか?

「アメリカ人は付加価値をつけて会社を高く売ろうと考えているから会社を大きくしたがる。」そう教えられて日本人との考え方の違いにショックを受けた。アメリカのエクセレントカンパニーの社長と親しくなった。彼らはGM、フォード、クライスラーと取引があったが、私と付き合うことで豊田、ホンダ、日産等日系とも取引が出来るようになった。そうなるとその会社の価値が上がり2-3倍で売れるようになったと喜んだ。アメリカの企業オーナーは会社を売った金で引退してフロリダで過ごすか、それとも別の会社を立ち上げるいわゆるTake another riskするかのどちらかが夢。そういう事を彼らは夢見て必死に仕事をしていたのだ。それを聞いて朝の7時から夜中まで自分の電話を待ってくれるほど仕事熱心だった理由がようやく分かった。そのためにアメリカ人は必死に仕事をしているのだ。その話を聞いて私は目が覚めた思いがしたものだ。

逆に「何でお前はそんなに一生懸命仕事をしているのだ?」とアメリカ人から聞かれて答えに窮した。

◇高く売り抜けフロリダでのんびり:アメリカ人的考え方

経営者に限らずエンジニアにしても同じだ。エンジン用のプラスチックを開発した知り合いの天才的なエンジニアは世界を飛び回るほど忙しくしているが、彼も、ものすごいお金を手にしてリタイヤするのが夢だと語っていた。

そして農民も同じ。荒地を開拓して、トウモロコシを植え、付加価値をつけて最後に高値で売り抜けてリタイヤに備える。

アメリカ人はわかり易いといえば分かり易い。

◇長すぎる寿命はナンセンス:徹底した合理主義

日本の品質神話は崩れたがアメリカではそうではない。過剰機能には金を払わないしOver Qualityにも対価を支払わない。

たとえば「うちの部品は他の部品より持ちがいい」と売り込んでも、逆に「ほかの部品が壊れたら長すぎる耐久年数は単なる無駄。寿命を短くしてコストダウンせよ」と切り替えされる。徹底した合理主義である。

◇桁外れの安さ。アメリカ発の価格破壊

実はアメリカ市場で売れているのは最新のモデルではない。1年遅れのモデル落ちが殆ど。ゴルフクラブにしたところで500ドルのドライバーはまず売れない。せいぜい200ドル程度のドライバーが主流だ。カメラやパソコンも1年落ちが主流。その代わり旧モデルの価格破壊は常にアメリカからだ。液晶テレビも37インチ、42インチのもので600-700ドルが売れ筋。日本では考えられない値段だ。

96年に1エーカー、1,250坪の家に住んでいた。写真は立派だが、値段は日本では考えられないほど安い。購入時で26万ドルだった。当時は、家を買うと土地がついてくるという印象だった。当時は毎年地価が10%ずつ上がっていたためおかしなもので銀行が勝手に小切手を送ってきた。その後バブルは崩壊したが・・・。

◇デトロイトというところ

デトロイトになぜ自動車産業が根付いたのか考察すると

五大湖の畔で交通の便が良く石炭の運搬に便利だった。

最初の頃は車体が木材で作られていたので森林資源の多いデトロイトは調達に有利だった。シャーシも木材だったので堅い北方の木材が適していた。

ヘンリー・フォードの出身地でエジソンもいた。フォードはエジソンの下で働いていた。フォードがエジソンに設計図を見せるとエジソンから励まされたという逸話が残っている。Tフォードは当時1,000ドルで爆発的に売れたという。

フォードミュージアムやエアフォ-スミュージアムへ行くと開発者の苦労が偲ばれるので当社の若手エンジニアに必ず見せるようにしている。

何しろ当時は製品を作ろうとすると工作機械から治具から何から何まで自分の手製で作ることになる。エアフォースミュージアムでは自転車屋だったライト兄弟が残したプロペラを削る工作機械、木製の風防を作る機械、手縫いの帽子やゴーグル、小型軽量化したカメラ。誰も作ってくれないから自分で作るしかない。

ディラー数でいうとGM16,000軒、フォード8,000、クライスラー4,000、日系のトヨタ,ニッサンがそれぞれ2,000だった。当時クライスラーは軍需産業を持っていて、ロケット部門、戦車部門があった。アイアコッカが同社を立て直すためにこれら軍需産業部門を売却していったのは有名な話である。だが、この軍需部門にしたところで“おまけ”の様な存在ではない。日本の三菱重工の2倍の規模は裕にあった。

□自動車業界に見る蕎麦屋の戦略

GMの組織戦略だが、CPC・・・シボレー等に代表される小型車グループ、BOC・・・ビュイックやキャデラックに代表される大型車グループ、それにサターンの台頭がある。

GMはシボレーで入門させてだんだんと高級車に進み最後にはキャデラックに乗せていく戦略をとっている。

また自動車はエンジンを共通としたグループわけを行うエンジンを重視した戦略になっている。なぜかと言うとエンジンの開発には4年掛かり1ラインの投資で700-800億円、ペイラインが20万台に上るからだ。

日本の蕎麦屋の発想と同じで上に何が載るかで商品が変わる。下は一緒。

クライスラーのビッグ3復活にピックアップトラックが貢献した。アメリカ人は1台目はさすがに乗用車を購入するが、2台目はピックアップトラックを買う。アメリカ人は自分で何かを作るのが好きでDIYの店でいろいろと買い込む。その荷物を運ぶのにピックアップトラックが必要となるからだ。トラックならばエンジンも最新の必要はなく、何より部品点数が少なくてすむ。

□アメリカ人気質

かつて日米貿易摩擦がありレーガン大統領の補佐官がトヨタに米国製の部品を買うようねじ込んできたことがある。その時のトヨタの対応は「トヨタの系列部品メーカーである日本電装はデトロイトに工場がある。そこの責任者の子供はデトロイトで生まれ大学も卒業しGMに入社した。米国の部品メーカーでそのような会社が日本にあればトヨタも喜んで買う。」であった。アメリカ人は負けたと思ったらぐずぐず言わず黙って引き下がる潔いところがある。この補佐官も何も言わずに立ち去ったという。それにしてもトヨタの対応も骨があって立派だった。

また、ネバダ州の砂漠の真ん中にプロゴルファーならば一生に一度はプレーしたい憧れのゴルフ場があるのをご存知だろうか。マカオにもホテル進出した大富豪、ウェンリー・ロートが作ったものだがオーナーの友人しか回れない。そんなゴルフ場に連れて行ってもらった経験があるが、ここは完全なプライベートコース。その日もたった3組だけしかラウンドしていなかった。ここは池も滝も人工で作っている。砂漠のど真ん中に木を植えグリーンをつくり、滝殻に落ちる水もポンプで吸上げている。維持費も桁外れにかかる。

こんな途方もないことを考えて本気で作ってしまうのがアメリカ人なのだと驚かされた。

◇アメリカの教育の底力

アメリカの大学にはアジア各国から留学生が学びに来ている。中国・台湾・韓国は一族の命運を背負って来ているからよく勉強している。一番ダメなのは日本人。彼女まで日本から連れて来るのもいる。それ以外の留学生は母国語と同じレベルで英語をしゃべっている。

性格は中国人はアメリカ人に近いだろう。韓国人は日本人と近いような恥の概念があると感じる。

日本の組織は外圧がないと変化しないがアメリカは自律反転する。今回、大統領に黒人のオバマ氏を選んだあたりはその真骨頂だろう。

気になっているのは教育機関の日本との姿勢の違いである。アメリカの大学は世界各地に調査機関をおいて優秀な学生をリクルートしている。こんな逸話がある。MIT(マサチューセッツ工科大学)に長野の女子高から非常に優秀な生徒が入った。すると、なぜここまで優秀かを突き止めるために長野まで調査に行ったというのだ。ハーバードにも同じようなリクルートの組織があり、優秀な学生を見つけると家庭訪問をして推薦状まで書いて優秀な学生を集めている。大学は優秀な学生が社会で大活躍して将来、莫大な寄付をすることを期待している。

日本の東大でも京大でもそこまではやっているところはない。日本国株式会社もこの辺が限界かと10年ほど前から感じている。

Q&A

Q: 失敗談を披露してほしい

A: アメリカでは実に楽しく時間をすごした。私が住んでいたカリフォルニア州では寿司が流行っていてたまには行っていたのだが、うにの方が光物よりも安かった。それに気づいたのがカリフォルニア州を去る直前だったのは失敗したと思った。(笑い

Q: 将来の人生設計について。日本に帰るのか、香港に残るのか、アメリカに渡るという手もあるが。

A: 米国の永住権も取ったが年をとってからのアメリカ滞在はタフだと思う。アメリカでは70歳になっても80歳になっても自分でハンドルを握らなければならない。金を出しても運転手になってくれるような人がいない。

また、年をとると自然回帰するのではなかろうか。この歳で2週間も肉ばかり食べていると歯茎は緩むし目もチカチカしてくる。肩もこってくる。それにアメリカのTAXは32%で世界のどこにいても追いかけてくる仕組みになっている。日本の属地主義に対してアメリカは属人主義を取っているからだ。しかも息子はドラフトが来ればアメリカ人の義務として軍隊に行かなければならない。

そんなことも考え合わせて、領事館まで家内と永住権を返しに行った。ところが、たまたまその日がコソボ空爆と重なっており領事館の周りは抗議のデモ隊で取り巻かれていた。領事館のSPにアメリカのグリーンカードを見せるとSPはデモ隊を押しのけて私たち夫婦を領事館まで送り届けてくれた。謝意を述べると「アメリカ市民を守るのが我々の義務ですから。」と返事をされたの。なんといっても有事の際に頼りになるのはアメリカのパスポートと永住権だ。思わず家内に「永住権を返上するのは止めようか。」と話した。

(速記録 by 拙速で候)

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